6月日記

 ●バラ:
 今月の花にバラを選びました。バラは年中、咲いていますが、春バラ、秋バラがとくに美しいです。
 バラは大変、肥料を要します。だから美しい花をたくさん咲かせて、人々を楽しませてくれます。このため、バラは肥料を大量に求めるのだと言われます。それに応えてお礼肥やしとして、バラを育てる人は、たくさんの肥料をやるのです。
  (大阪・長居公園で撮影)

【今月の目次】

6月1日(金)国連の水セミナー
6月2日(土)写真の撮りかたワンポイントアドバイス
6月3日(日)万博公園散策
6月4日(月)下水工事見積もり
6月5日(火) モノづくり神話の持続を
6月6日(水)タヌキをついに撮影
6月7日(木)チャドクガの駆除
6月8日(金)ベンチャー企業の挑戦
6月9日(土)コムスン事件を想うー老人介護は便所掃除ー
6月10日(日)山本光学がNHKに
6月11日(月)ミルウォーム
6月12日(火)異色の経営者
6月13日(水)談合で初のトップ辞任
6月14日(木)松花堂弁当の発祥の地
6月15日(金)消防団
6月16日(土)ピースボート説明会に
6月17日(日)オオムラサキ蝶観察
6月18日(月)『あざやかな退任』を読む
6月19日(火)柳生の里・花しょうぶ園
6月20日(水)神戸・花鳥園
6月21日(木)コヨシキリ
6月22日(金)遊び=仕事
6月23日(土)さらさの湯
6月24日(日)『2025年 伊野辺家の1日』
6月25日(月)携帯の不思議
6月26日(火)JTrim
6月27日(水)40年前の知己
6月28日(木)親友の逝去
6月29日(金)ミドリシジミを三草山に追う
6月30日(土)木津川計氏の講演




●6月30日(土)木津川計氏の講演

 仕事で木津川計氏の講演を聞いた。テーマは「大阪の都市格と都市力ー下がるばかりをどうする」であった。この人の旧い著書に『含羞(がんしゅう)都市へ』がある。名著だと思う。感銘を受けた記憶がある。

 この日の講演もその話である。大阪は文化をおろそかにしてきたので、昨今、都市格が劣っていた。その上、都市力(経済力)も衰退傾向である。いまこそ文化力、うまりは含羞(がんしゅう)都市を目指すべきだという。

 永年、このテーマに取り組まれ、関連著書も多いだけに、話がうまいと感心した。
 私は大阪人は大阪という都市に「ふるさと」を持っていないことが、最大の悲劇だと思っている。コスモポリタン(世界人)的意識があって、あらゆる物、人を受け入れる包容力の大きさはあるが、ふるさとに見られる、ある種の保守性がない。

 とにかく、たんつぼのような都市と言われようが、自虐的になってまでコスモポリタンを貫いている。
 プラグマティズム(実用主義)にたけ、儲かることには貪欲な姿勢をみせる。最近、制度疲労のためか、その貪欲さに陰りが生じている。しかし、マグマが溜まってくると、再び開花するだろうと思う。そのためには、他の大都市にないことを官民あげて取り組むしかない。


●6月29日(金)ミドリシジミを三草山に追う

 いまでは、生駒でほとんど見なくなったミドリシジミを能瀬の三草山(みくさやま=564m)へ探しに行った。かつてここでミドリシジミが見つかったことで、大阪府などが保護に乗り出し、いまではミドリシジミ10種類が見られる保護地区という。

 自宅から三草山の登山口までに行くのに、渋滞に巻き込まれたこともあって、2時間以上もかかってしまった。登山口に慈眼寺の駐車場がある。登山口は駐車場の前の道路を真っ直ぐ、お寺に沿って100mほど行くと、右手に棚田が見えるところに、標識がある。

 近くの道の駅 能瀬「くりの郷」で聞くと、「この前、ミドリシジミ観察会があったのですが、ゼルフィイスの森ではまだ見られるかもしれません」と、かなり期待薄の感じだった。

 この山は564mもあるのに、丘を登る感じで、非常に楽な登山である。予想通り、ミドリシジミを見ることはできなかった。ただ、ここの棚田の風景はすばらしかった。午後4時ごろから大雨となった。


【三草山を下るとすばらしい風景が広がる】



●6月28日(木)親友の逝去

 自宅のFAXに娘さんから「父親、Sさんの逝去」の案内が届きました。Sさんは67歳の若さです。私より3歳上の先輩で、東京時代、同じ職場で東京オンチの私をいろいろなところへ案内してくれました。

 突然の訃報にめまいがおこりそうです。しばらく音信が途絶えていましたが、元気だと思い込んでおりました。親友の死はショックです。私が退任後、NPOを立ち上げた時、わざわざ大阪まで励ましにきてくれました。

 Sさんは選択制定年でさっさと、退社、ひとりモスクワなどへ旅に出かけ、国内では連句の会に入り、詠んだ句を大学ノートに書きとめ山のように溜まっていたのを覚えています。若いときから文学青年で、会社では無頼漢ぶりを発揮していました。ただ、友人たちには恵まれ、いつも人生を謳歌していました。娘さんが自分と同じ慶応大学に入ったことを、ものすごく喜んでいたことが、印象に残っています。

 小石川公園、ジュリアナ東京、Jクラブなど、東京の穴場に案内してくれました。ある時は新宿の高層ビルの中にある、ニューヨークスタイルのバーで語り合ったことが昨日のようによみがえってきます。
 娘さんと奥様に励ましの手紙を書きました。(合掌)

●6月27日(水)40年前の知己

 先日、旧友からうれしいメールが届きました。40年近く前のことを覚えていただいてことに驚きと敬意を覚えます。

 「18日に英国の世界的な大手菓子会社が日本のS食品に友好的TOBの発表があり、 各紙紙面に記事が載っています。  読まれましたか?  S食品は姫路の会社で本日社長にインタビューしてきました。
  岡田さんの話が出てびっくりしました。  Yという社長です。  K繊維会社の広報時代にお世話になったとか。  是非お会いしたいと言っておられました。」

 「驚きましたよ。よくぞ、覚えていてくれましたね。立派なゴルフ道具(彼の使っていたもの)をいただきながら、ご承知のように、ゴルフはさっぱりでした。

 K社といえば、Oさん(故人)にもお世話になり、いまの社長のWさんは小生が編集していた季刊誌『Brain Trust』の愛読者で本当に今に至るまで、お世話になりっぱなしです。

 それにしてもY氏は大出世ですね。W社長も広報出身ですから、K社は広報に優秀な人材を集めているんですね。私の記憶ではYさんは当時から大物でした。野球では関西六大学時代、阪神の村山と同期ではなかったかと思います。私が福井へ行く前のことだったと思います。世間は狭いですね。
機会があればお会いしたいですね。ぜひ、よろしくお伝えください。」
 
 近い将来、会えることを期待しながら、このような返事を書きました。


●6月26日(火)JTrim

 PCクラブで、JTrim(写真加工の無料ソフト)による写真加工を教えてもらった。2度目であったが、普段、あまり使わないのでほとんど忘れていた。

 写真に額(枠)をつけたり、不要な部分の修正、合成(夜空に月を貼り付ける)などのほか、込み入った遊びを教えてもらった。これも何回も試行錯誤を繰り返さないと、ものにならない。

 私にはトリミング程度でいいと思っている。パスポートの顔写真を自分でプリントする時には、このソフトは役立つ。

 昨日、携帯料金のことを書いたが、27日の新聞にドコモが9月から家族割引をさらに下げるとあった。これはソフトバンクの無料に対抗したものであるが、ゼロにはしない。まだ、余裕があるのだろう。そのうち、シェアを下げだすと、わき目もふらず値下げするのではないか。まず、ユーザーありきの考えがないと、いつか戦いに敗れると思う。



●6月25日(月)携帯の不思議

 NTTドコモを使っている。5月の料金が6月に請求兼領収書(引き落とし)が郵送されてくる。4月と比較、請求金額がいつもより多かったので、契約しているショップ店で聞く。詳細内訳は料金センターから有料で送るという。

 一度、確認のため、郵送を依頼。考えてみると、請求金額の詳細内訳を見るのが有料というのも、不思議である。自分の携帯に発信記録が残っているが、かけた電話が同じ局番の場合は、最新のものだけしか残らない。このため、発信記録と請求内訳は整合できない。だから有料の内訳を取り寄せても役立たずである。大半の人はこうした作業は面倒だからしないだろう。ドコモのいいなりである。正確だと思い込まされているからだ。

 これがドコモ商法か、携帯各社が同じやり方かどうかは知らないが、この会社には公社時代の殿様商売の名残を思う。ファミリー割引をやっているが、最近、ソフトバンクが24時間、無料を打ち出した。これは魅力的で、切り替える衝動にかられる。ただ、切り替え料金をとられるるため、思いとどまっているユーザーも少なくないだろう。

 料金問い合わせで、「これだけ使われるなら、プランを変えた方がいいですよ」という。いつもこれだけ使うわけではないので、プランを変えると、別の月ではその効果がないどころか、割高になった経験がある。これほど細かくプランがあるのも、ユーザーには面倒である。

 メールはバイト数で表され、パケット料金で合計金額が示されている。とにかく、請求書の内訳は一般のユーザーには理解しにくい。だいたいの人は合計金額を見ているだけだろう。メールの一文字料金は、FORMAが旧式より割安に設定されているが、FORMA機種への切り替えで高価な携帯を持たされる仕組みになっている。どlこか変である。

 海外で携帯が使えるかどうかを聞くと、機種によるという。その問合せ先はインフォメーションセンターと違うところでやっている。「貴方の機種は使えません。外国で使える機種に買い換えるか、レンタルで対応してください。外国でもアンテナがないと通話できません」と、具体的にどこのエリア、国で使えないのかは教えてもえらえない(というより、知らない)。これがインフォーメーションの実態である。すべてユーザーの責任になっている。普通、使えない場合は割り引くか、会社の責任だろうと思うが、ここにも殿様商売ぶりを見る思いである。

 長期間、国内を不在にする場合は、番号を保留したまま、料金ゼロになる点だけは、当たり前だが、ホッとした次第である。

 携帯各社はもっと料金体系をシンプルにしてもらいたい。ユーザーが迷惑している現実を直視して取り組んでもらいたい。さらなる自由化を進め、リーズナブルな料金にすべきだ。世界的に見ても、日本の携帯料金は高すぎる。


●6月24日(日)『2025年 伊野辺家の1日』

 先日、PHP総合研究所の江口社長から著書『2025年 伊野辺家の1日』を贈られました。江口社長とは20数年、お付き合いしていただいています。

 この本は『内閣府イノベーション25戦略会議』のメンバーである江口社長が担当大臣である高市早苗大臣に頼まれて、まとめられたそうです。非常に分かりやすく、近未来の社会が描かれています。

 近未来の本で思いだしますのは、読売新聞が相当以前、100年後の社会で実現するものを予測して、本になった記憶があります。その当時、夢のような話が実際、実現していることを知って、予測の正確さに驚嘆したことを覚えています。

 私が現役時代、小学館のドル箱『ドラえもん』を題材に、東大の教授ら有志による研究グループが、ドラえもんに出てくる竹コプターなどを科学的、技術的に実現可能かどうか、研究されたものを『ドラえもんの鉄がく』ノ書名で出版した経験があります。この本は今も売れています。
 このとき、著者の不二子不二夫氏に許諾を得に事務所を訪ね、快く了解いただいたことが、昨日のように思い出します。

 江口社長に近況報告を兼ね、お礼の手紙を書きました。

 「江口社長のご活躍ぶりは大変なものですね。また、このたびは『イノベーション25戦略会議』の一部を漫画本にまとめられる労をとられ、小生にも贈っていただき感謝しております。

 科学技術は夢があって、いいですね。理科離れがいわれて久しいですが、この本に接したら理科ファンも増えると思います。非常に分かりやすく、興味深いテーマで楽しみながら読みました。それにしても多才な活動には敬服いたします。」



●6月23日(土)さらさの湯

 梅雨時の天候予測は難しい。金〜土に金剛山のロッジに泊り込んで野鳥撮影を計画、早朝から出かけた。ロッジにはシラフをはじめ自炊しなければならないので、撮影機材を入れて、かなりの荷物になる。このため、ロープウエイを利用して行くことにしたが、駐車場に入るや、「今日は強風のため。ロープウエイは臨時休業になりました」と、駐車場の守衛がいま、連絡が入ったと伝えにきた。

 「ロッジには係りの人が、関係者が利用できる道路をクルマで通って、もうすぐ着くことになっています」と、連絡をとってくれた。キャンセル料は不要で話がついた。駐車料のみは機械処理のため、「申し訳ございません」と、わびた。

 金剛山はあきらめて、堺市にできた「さらさの湯」に出かけた。渋谷で天然温泉の爆発事故があったので心配したが、こちらは有名温泉を再現したボイラー式の風呂であった。土、日は混み合うようだが、この日はちらほらであった。岩盤浴は人気があるのか、予約制でほぼ定員の人たちが利用していた。岩盤浴はサウナと違って、じわっと30分間かけて汗をかくので、体にはこの方がいいように思う。

 このあと、夕方の浜寺公園に撮影に出かけたが、いいのが撮れなかった。公園の前にある福榮堂という菓子屋に「松露だんご」という名物があると聞いていたので、買いに行った。明治40年創業の老舗で、いまは4代目だという。建物、看板も当時のままだという。「松露だんご」は丸いもちをこしあんで包んであるが、シームレスになっており、舌さわりがいいのである。聞き忘れたが、どうして作っているのかと思うほどである。キノコを模して創業者が開発したという。

 それにしても浜寺も往時のすばらしい海水浴場、別荘地の面影は消えていた。


●6月22日(金)遊び=仕事

 定年後は、仕事をするか、遊ぶか、どちらを選んでもも大変です。ある人は3分の1は仕事、3分の1は遊び、残りは社会奉仕活動と言った人がいましたが、実際は難しいです。定期的な仕事であれば、可能でしょうが、私のように取材、執筆の仕事では、不定期になり、長期計画が立てにくいのです。

 この9月に65歳で高齢者と呼ばれる仲間入りをするのを機に、遊び=仕事との考えで行動することに決めました。遊びを仕事にするには、企画がポイントです。無目的な遊びは仕事(いくら無報酬といえ)とはいえないと思います。

 今秋、日本一周の船旅に出ます。もともと屋久島へ行く計画を持っていましたが、日本一周の旅に屋久島のトレッキングが含まれていましたので、これに決めました。来年はじめからは、108日間の世界一周の船旅に出ます。これは南極とニューギニア(ラバウル)が含まれているピースボートに乗り組む計画です。

 南極は行きたくてもなかなか、旅費、体力の問題も含めて難しいと思っていましたが、ピースボートが第60回で初めて南極を入れたのです。ニューギニアはブナ海岸で散骨(親父の遺言)を計画していますが、なかなかチャンスがありません。今回はラバウルですが、親父が輸送船でブナからラバウルに戻ったから、そこで一部散骨を考えています。機会があれば、ブナにも行く計画です。

 これだけの旅の準備が大変です。体力つくり、情報収集、準備作業等、時間がいくらあっても足りません。

●6月21日(木)コヨシキリ

 5月下旬に撮影された野鳥、コヨシキリを、堀氏が送ってくれました。いつも感心するのは、望遠とはいえ、かなりの至近距離からうまく撮影される腕前です。なかなか、とっさにこう、うまくは撮れないものですが、相当、場数を踏んでおられるのでしょうね。

 ITのHPに「夏鳥としてやってきて,平地から山地の草原,湿地,河原などにすむ」とあり、ウグイスの仲間です。

 それにしても野鳥の名前をよく知っておられ、公園についても情報をお持ちです。山田池公園は、以前枚方市に住んでいましたので、よく行きました。当時は、野鳥には関心がなかったのですが、いまに思えば水鳥など多くの鳥を見た記憶がよみがえってきます。

 「岡田 様
 枚方市の山田池公園へ久しぶりに行きました。6月になったら花菖蒲と紫陽花が、目下、兆しだけです。写真はコヨシキリです。鳴き声は怒鳴り散らすと言う表現がぴったりです。 声はすれども姿が見えず。ひょこと出て吠え立てた時の一枚です。」

【コヨシキリ】


●6月20日(水)神戸・花鳥園


【フクロウショー、体験も追加料金で可能とか=神戸・花鳥園で】

 友人から神戸・花鳥園の写真が送られてきた。ここではフクロウショーをやっているそうだ。フクロウとミミズクの違いは耳もどき(飾り羽)があるかないかで、分かるという。ミミズクはこれがある。
 いずれにしてもフクロウショーは珍しいのか、人気があるようだ。この園には珍しい鳥がいるので、一度、いってみたい。


●6月19日(火)柳生の里・花しょうぶ園


【雨でしっとり濡れる花しょうぶ=柳生の里 花しょうぶ園で撮影】

 いまはどこの花菖蒲園も最盛期で、多くの人が楽しんでいることだろう。この日、曇り、時々雨の天気予報だったが、柳生の里・花しょうぶ園に出かけた。9時開園だが、8時前に着いたので、受付で聞くと、どうぞと招きいれてくれた。

 この花しょうぶ園は地元で兼農家の園長が、減反のため米作りができなくなり、昭和60年から自分で作ったしょうぶ園で、現在、465種類(1000種類はあるといわれる)の菖蒲があるそうだ。奈良市からも一切の補助を受けず、自主独立で運営している。だから融通がきくのである。

 6月1日から1ヶ月だけオープン、あとは閉園するという。この1ヶ月のために肥料、剪定(あじさい)の作業を行うという。紫陽花はレインボーという1本の木に七色の色の花が咲く、珍しいものもあるそうだ。

 ここの自慢は黄金の舞という黄色の花しょうぶだが、この日は小さなはなしかなかった。遅いのかも
しれない。NHK奈良放送局が撮影にきていた。個人情報がうるさいのか、自前で撮影する女性(スタッフ)を連れてきていた。NHKのカメラマンは腕章もせず撮影、園長から教えてもらって分かった。今週の金曜午後に放送される予定。

 近くのレイクフォレスト・リゾートというゴルフ場のクラブハウス近くのホテルで休んで、午後3時から再入場させてもらって、雨上がりの花菖蒲も撮影した。


●6月18日(月)『あざやかな退任』を読む

 ある旧友から高杉良の『あざやかな退任』を読むようにすすめられた。高杉は経済小説で高く評価され、これまで何冊か読んでいた。ただ、この本は読んでいなかった。この本の初出は1979年だから、一昔前の舞台である。解説を書いている佐高信氏が「高杉作品のなかで最高傑作です」と大変な評価をしている。

 世の中、引き際の悪い経営者が多く、出世欲が強いサラリーマン社会のなかで清涼感のするストリーに共鳴できるのだと思う。

 私も帝人の大屋晋三が死ぬまで社長の座に君臨、突然亡くなった前後を読み物風に『守破離の経営』の書名でペンネームで執筆していたので、『あざやかな退任』を興味深く読んだ。主人公の宮本副社長のように、うまく事を運べるものかどうか、現実社会では、宮本副社長の行動は稀有であるだろうと思ったが、・・・。

 とくに、このような状況で個性の強い吉田社長はありえない。いくら創業者の思いだったとしても、それは創業者の石原がいてこそ、ありうる。むしろ、鈴木のような優柔不断の男がなるケースが多い。宮本は創業者に従順に描かれているが、鈴木を吉田より評価しているなら、いくら創業者の思いであっても、自分の考えを実行するのが常であるように思う。

 ところで、旧友がこの本をすすめたのは、私が以前勤めていた会社でトップと対立、引退したことの真相を最近、知ったことからではないのかと、推察している。いつか、小説風に書きたいと思うが、まだまだ現役の人もいるので、当分は書けない。


●6月17日(日)オオムラサキ蝶観察

 この日、国蝶のオオムラサキの観察に出かけた。約20名が市立グリーンガーデンに集合、オオムラサキ蝶がいると思われる場所にリーダーが案内してくれた。

 旧友、高校の山岳部のK氏と再会した。ここでの再会は2度目である。久しぶりだったので、道中、話しながら登った。

 オオムラサキとアサギマダラを長年、調査、研究しているOさんが、説明してくれる。
 「オオムラサキは羽化がはじまったところで毎日、同じ木の葉に止まります。一定のテリトリーを維持しています。他のオオムラサキがやってくると、追い出すか、争うのです。午後3時30分ころにやってきます。その予言通り、大きな木の上で舞う(争いか?)2匹のオオムラサキが現われた。

 「ネット(数メートルの長さの網)で、捉まえて、初めてオオムラサキがいたという記録になります」と、ネットでとられない無念さをのぞかせていた。

 「アサギマダラをつかまえました」と、リーダーがネットで捉えたアサギマダラを参加者に見せてくれた。全国にアサギマダラの会があって、羽に捉まえた場所、名前などを書き込んで、再び放す。以前、台湾まで飛んだアサギマダラがいたという。台湾の学生が捉まえた現地を見にやってきたそうだ。

 アサギマダラは手の平の上で、静かに眠るように動かないでじっとしている。不思議である。この蝶は体内に毒を持っているので、鳥などから襲われる危険がないので、悠然と飛ぶ。

 「この時期にアサギマダラを捉えたことは、快挙です」と、調査員は解説する。場所、天候、気温、湿度、大きさ、メスかオスの区別などのデータをノートに書き込んだ。
 「このデータを会のHPに載せて、発信します」と、どこかで捕獲して知らされると、感動ですという。
 生駒山を背後にもつ、ここグリーンガーデンは「自然、環境」をキーワードにしたイベントをやってくれるので、小学生も参加、いい勉強になっていた。
 

●6月16日(土)ピースボート説明会に

 体が元気な間にと、ピースボートで世界一周を思い立ち、ITで調べ説明会に出かけた。ピースボートは1983年、国会議員の辻本清美さんら学生の時に発足させたNGOである。今回の説明会は第59回と60回の世界一周の船旅である。

 私が興味あるのは、来年1月から南極を経て行く60回コース。父の遺骨をニューギニヤのブナ海岸に散骨する計画を持っているが、今回、ニューギニヤのラバウルに寄港するので、一部散骨をしたいと考えている。ブナ海岸には船が大きすぎて入港できないそうだ。ブナでの散骨は別な機会に実行したい。

 ピースボートと日本郵船の「飛鳥」と、どう違うか聞いてみた。
 「ピースボートは約1000人と、参加者が多いのと年齢層も飛鳥は50〜70歳代が中心ですが、ピースボートは10〜30歳代と50〜90歳代と幅が広い。その上、飛鳥はパーティなどが華美、食事も豪華、さらに船員、スタッフが日本人であるが、ピースボートはパナマ船籍で船員は外国人、スタッフも日本人を含むアジア各国の人たち。ボランティアも多く参加していますので、飛鳥のほぼ半額です。日本のクルー料金が高過ぎます。毎日、豪華な食事は食べられませんよ・・・」

 ピースボートと飛鳥の違いは、船内の文化活動と、現地での交流会の豊富さであろう。いずれにしても3ヶ月強の長旅となるから大変である。

 すでに2人部屋は一部窓なしの部屋を除いてキャンセル待ちの盛況ぶりである。いまはどうしても行きたい気持ちなので、キャンセルを待つことにしている。
 ピースボートの船旅が決まれば、コースの内容など、参考になる情報を提供したいと考えています。



●6月15日(金)消防団

 日ごろ、消防団のことは忘れている。時々、サイレンの音を聞いて、火事か救急車が出動したと、思う程度である。
 今回、森元参議院議員からの「消防団」の便りを読んで、一昨年、宇和島の無農薬で蜜柑作りをすすめている「無茶々園」を取材した時のことを思い出した。

 「無茶々園」は宇和島の蜜柑農家を指導、無農薬蜜柑作りに取り組んで30年以上、経つ。問題は販売で株式会社「無茶々園」を設立、生協をはじめ、ITで全国の消費者へ直接、販売している。
 ここのITシステムが優れていることで、トップにインタビューしていたら、「火事のようです。私、消防団員ですので、出かけなければなりません」と言って、途中で席を立って出て行った。

 約1時間後、「倉庫のぼや火事でした」と、わびながら戻ってきた。なるほど、田舎では消防団員専門の人をおけるほど人がいないことを知った。偶然、応接室の窓から火事の写真を撮った。


【煙を見ると、大火事のようですが・・・、宇和島で】

以下に森元参議院議員からの便りを掲載します。
 
 消防団は、地域防災体制の中核として、火災や自然災害をはじめ住民の安全を脅かす事態において、不可欠な存在となっています。

 消防団は、住民の自発的な参加によって維持されている地域自治活動組織であると同時に、消防組織法上の消防行政機関です。このため、消防団は常備消防と連携協力して、火災をはじめ自然災害などに当たり、常備消防にない持ち味を活かして住民の安全を守るため、めざましい活動をしています。
 しかし、消防団員の数は、昭和40年代後半から常備消防の整備が進み、現在ほぼ100パーセント近くに達したこと、また、会社員の増加、若年層の減少などから減少傾向を辿っており、昭和30年以前には200万人を超えていたものが、今や90万人を割り込みかねない状況です。

 わが国の消防団と同様に、基本的には人々の郷土愛の精神で支えられた非常備の義勇消防は、世界のどの主要国にも共通して存在しています。中でもアメリカは70万人以上の、そしてドイツは100万人を超える隊員を擁しており、わが国同様火災、自然災害などにおいて重要な役割を果たしています。

 消防団の基本的な性格やその役割からして、常備消防が整備され、その内容が充実されれば、消防団の存在意義が薄れるというものでは決してありません。むしろ、行財政改革を推進し、職員定数の削減が求められるなど、今後常備消防を拡充することが困難になりつつある中で、消防団に期待される役割はより一層大きくなるものと思われます。

 また、消防の活動領域は、近年、従来の火災や自然災害への対処に加えて、病人やけが人を搬送する救急出動回数が大幅に増えるなど、その内容が変化しています。さらに、3年前に制定された国民保護法により、消防団の役割に有事の際に住民を安全な場所に避難誘導することが加わりました。このため、これからの消防団には、従来の火災、自然災害に加え、大規模な地震、列車事故などの人災、そしてテロや外国からの侵入など、一旦有事があった場合に適確に対処できる力を身に着けておくことが求められています。

 このように、消防団に対する期待が高まりつつある中で、消防団がそれに応えるためには、消防団員の増員、確保に努めるとともに、研修、訓練の内容を充実する必要があります。

 消防団員の増員、確保の面では、処遇の改善をはじめ、若い人が魅力を感じる消防団づくりを進めるとともに、会社員である団員の割合が増えていることに対応して、企業単位、事業所単位に消防分団を結成したり、団員の確保を図ること、また、消防活動に理解がある事業所を顕彰する消防団協力事業所表示制度の普及を図ること、さらには女性消防団員の確保に力を入れることが重要です。

 また、研修、訓練の面では、大規模災害や武力攻撃などの有事の際の対応策について、消防団員はもとより、住民総ぐるみの実地訓練の機会を設け、できれば青年を対象に数日間泊り込みで集団体験をすることが望まれます。私も、防災訓練に参加しましたが、それは通常参加者の一部が実際に作業を行うだけで、大半の人はそれを見ているというのが実情です。それではいざというときに対処するための訓練としては不十分なように思われます。なお、もし若者の集団体験訓練ができれば、その
効果は有事、災害対応のためだけでなく、若者の人間形成の上でも大きな副次的効果があると考えています。(参議院議員 森元恒雄)



●6月14日(木)松花堂弁当の発祥の地
 
 友人から八幡市の松花堂庭園・美術館の写真が送られてきた。この庭園の竹甲羅は、以前、いつも野鳥の写真を送ってくれる堀氏が紹介、この日記にも掲載したことがある。

 ここに、あの日本料理の吉兆 松花堂店がオープン時からやっているそうだ。弁当の定番になっている松花堂弁当はここからきている。吉兆の創始者、湯木貞一が昭和のはじめ、八幡の松花堂から持ち帰った四ツ切り箱をヒントに懐石弁当を考案し、世に広まったもの。

 原型は松花堂昭葉が農家の種入れを煙草や薬等の小物入れ、絵具箱に使っていたものといわれている。

 美術館、庭園と吉兆のグルメの組み合わせがいい。以前、紹介した和泉市の久保惣美術館もグルメの店ができると、さらに来場者が増えるに違いない。美術鑑賞以外、食事処がないのは淋しい。
 それにしても弁当代が3千円強というから、そうたびたび食べられない。


【松花堂の庭園】

●6月13日(水)談合で初のトップ辞任

 枚方市の清掃工場の入札を巡って、談合事件があったことは、記憶に新しい。ここには以前、20年間ほど住んでいたので、関心があった。

 民間の方は大林組である。このゼネコンは大阪が本社である。そのため、東京へ一極集中するなかで、かなり無理をして首都圏攻略を計った。このことは、同社の幹部が「業務課」という書名の本を出して内部告発をしたことでも知られている。

 TVでも談合事件のたびに、この本の著者がコメントするくらい有名である。私が知っているだけでも、大林組は大手ゼネコンのなかで談合では抜きん出ている。それだけ関西の企業は関東のゼネコンに比べてやり方がへたなのかもしれないが・・・。

 当初、枚方の談合事件が表面化したとき、数千万円のカネが動いているのに、役員会はまったく知らないわけがないと思った。少なくとも、社長が知らないならはずがなく、もし知らないなら、よほどぼんくら社長である。

 副市長が関与していたことで辞任、市長も疑惑の目で見られている。そして私の記憶では初めてゼネコンのトップが責任をとって辞めた。これまではせいぜい担当部署の役員までで済ませていた。世の中の常識が初めて実行された意味では画期的なことである。

 来年の通常国会で独占禁止法の改正案を提出するため、政府は中身の検討をしている。その中で課徴金の強化と刑事罰を盛り込む内容に、財界、自民党が反発しているという。本当に談合を根絶しようという思いが感じられない。松岡農水大臣の自殺が生かされない。

 談合ではないが、シンガポールではゴミやタバコのポイ捨ては厳罰が科せられるので、皆無だと聞く。やはり、厳罰にしない限り、悪の根絶は難しい。


●6月12日(火)異色の経営者

 いまも、こういう経営者がいることに驚いた。ある季刊誌に掲載するため、大阪市内の中堅企業の社長インタビューに出かけた。はじめて会うことはもとより、社名も、名前も知らなかった。詳細は記事掲載後にするが、これから期待できる経営者であると思った。

 彼は44歳の実業家である。勉強嫌いの彼は、中学校を出ると、プロのボクサーを目指し、プロ試験に合格、ジュニア・フライ級に挑戦したが、最初のリングに立った試合で判定負け、敗因は自己管理できないことだった。プロの道を断念、アルバイトでやっていた塗装工という職人の仕事を本職とした。
 
 やがて独立、しかも下請けから脱却するため、80%占めていた下請けの仕事を断念して再出発。やがて新しい施工方法、商品開発で急成長、難波の一等地に本社を建設、塗装工分野で収益日本一になった。

 この間、大検に合格、大学入試試験を受ける資格を得て、社長しながら商学部を卒業した。いま100億円強の売上だが、10年後には10倍の1,000億円を目指し、環境、通信等の事業にも手を広げ、夢に向って邁進している。

 コムスンの折口会長にも2度会っているが、「大変な野心家に見えた」と、回想していた。社員の福祉を大切に次なる目標に闘志に燃える経営者である。


●6月11日(月)ミルウォーム

 野鳥を撮るのにフィールドスコープを使うが、視野が狭く小鳥の撮影は至難である。だけど、、サンコウチョウなど、距離が20〜30mあると、望遠では難しい。

 ある時、ミルウォーム(虫)をまいて、野鳥を呼び込んでいるということを聞いた。コーナンの小鳥売り場で聞くと、冷蔵庫からミルウォーム出してくれた。
 「冷蔵庫に入れておくと、あまり成長しません」と、教えてくれた。ミルウォームは白い細い虫である。おが屑の中に入れ、1カップ200円である。

 木の実の入ったエサも買った。これらを持参して公園で待つこと1時間、まったく現われない。魚の撒きえと同じで、いくら撒いてもアタリがない場合があるように、野鳥も同じである。根気強く、やってみようと思う。

●6月10日(日)山本光学がNHKに

 土曜日の夜、東大阪に本社のある眼鏡メーカー、山本光学の山本為信社長から電話が入った。
 「明日、午前8時から放送されますNHKのTV番組『ビジネス新伝説・ルソンの壺ーサングラスの秘密』に登場しますので、見てください」という連絡だった。

 山本社長とは親しくお付き合い願っていることから、連絡をしてくれた。以前、季刊誌に同社の軌跡と社長の経営を特集したこともあって、同社については熟知していたので、約30分の番組であったが、よく理解できた。

 山本光学の社名は知らなくとも、「SWAN」(白鳥)のブランドは、サングラス、ゴーグル、水中メガネ等ではよく知られている。かつて小泉首相もモノづくりの町、東大阪市を訪れた時、同社を訪れ、サングラスを贈られ、エジプトなど中東を歴訪した折にそれを持参、記者団に披露、それが報道されるなど、PR効果があった。

 さらにアテネ五輪の女子マラソンで優勝した野口みずきの逆さサングラス(普通のサングラスを逆さまにしたもの)を開発、脚光を浴びた。野口は途中でサングラスを捨てないで(普通、ラストスパートをかけるとき、サングラスを捨てる選手が多い)頭にのせて走った。(もったいないメガネですからということだった)

 TVの感想をメールで送った。
 「ごぶさたしております。
 昨日、お電話でTV番組「ビジネス新伝説・ルソンの壺ーサングラスの秘密」の放映、お知らせいただき、ありがとうございました。

 この時間、いつもは竹村健一の報道特集を見ていますので、お電話がなければ、見逃すところでした。

 さすがNHKですね。野口みずきなど、いろいろな報道場面を所有しているので、うまくまとめていましたね。
 時間的に限られているため、サングラスに絞っていましたが、山本光学のイメージアップには大変な効果があったように思います。

 この番組は山本社長の経営観について紹介するものでないので、あの程度で仕方がないのかとは思いましたが、もう少し時間があればとも。取り急ぎ感想を送ります。」


●6月9日(土)コムスン事件を想うー老人介護は便所掃除ー

 コムスンの親会社、グッドウイルの折口雅博会長はやり手である。かつて、ジュリアナ東京を「流通サービス新聞」の編集長時代に取材で訪れたことがある。それで、この日のテーマに選んだ。

 ジュリアナ東京が幕を下ろす、少し前の時期であった。お立ち台の上で若い女の子がデイスコダンスに興じ、会場全体も大半が若い女性で溢れていた。イベントとしてのすごさを思った。

 いまから思うと、平成の宴の一場面であった。虚無的、退廃的でありながら、その雰囲気に陶酔できる女の子たちがそこに自分で生きるエネルギーを求めていた。
 お立ち台に立つ女性は自分で思い思いの衣装を持参してヒーロのごとく踊っていた。時間のたつのを忘れるように・・・。

 その頃、はとバスのコースに入っていたJクラブ?にも、はとバスの社長にインタビューした時に、教えてもらい、取材に出かけた。こちらは東京の上流?サラリーウーマンで満杯だった。席では高級ワインを飲みながら、男性(筋肉質のハンサムな外人)のストリップショウを楽しんでいた。クライマックスには客席の女性が舞台に上がって、お気に入りのパンツ一つの男性に抱きつき、パンツの中を覗きながら万円札を挟む。いわば覗き代のチップである。

 このころから、明らかに女性が強くなったと思ったものだ。セックスレスの男性が増え、女性はエネルギー発散にこういう場所に出入りしていた。これも平成の宴であった。

 その平成の宴を仕掛けた一人がグッドウイルの折口雅博会長であることを知ったのは、今回のコムスンの事件が明るみになってからだ。今度は高齢化社会の宴で一儲けしようと、コムスンを買収しようと思ったのだろう。

 不正申請でコムスンが処分された。彼の処分逃れの対応に日本人離れした発想を見る思いである。法的に問題がないわけだから、普通は認められる。ところが福祉を食い物にしたことで、世論(マスコミ)の袋たたきに合い、しぶしぶ記者会見に応じた。

 「もう一度チャレンジさせてほしい」と、涙を浮かべながら訴えた。これを聞いて、この人は何にチャレンジするのかと思ったものだ。

 私も介護とか老人ホームを仕事や自分の問題として調べたことがあるが、安心できる施設や介護は少ないと感じていた。中にはNPO法人の看板を掲げ、中身はあくどい商売をしているところもある。
 
 介護や老人ホームは社会の便所掃除か廃棄物処理場だと思えば分かりやすい。そういうところで快適な毎日を送るには、家族の同居人(娘=犠牲にはなるが・・・)がいるか、一流の病院を抱えた高級有料老人ホームに入れる一部の人たち以外は、ごみ扱いにされる覚悟がいる。

 介護保険は家族だけでは介護できないところからできたが、これはあくまでも補助である。ところが、多くの人は、人間としての尊厳、人間らしい扱いを期待する。それをするにはコストがものすごくかかる。あとは介護する人の人間性に頼る以外、期待できないし、それも限界がある。

 福祉士の絶対数が少ない上に、仕事がきつい。だけど便所掃除や廃棄物処理場と同様、確かな市場がある。鋭い経営者なら金鉱の山に見えるに違いない。労賃の安い派遣社員を使って介護保険(税金)によって利用料を取れば、焦げ付くことはない。老人は廃棄物、便所掃除だと割り切れば、これほどぼろい商売はない。

だけど、福祉に限らず、事業にはまず使命感がなければ、世間から見放されることを知るべきだ。利益は後でついてくると思うべきところ、折口氏は利益、儲け優先で進めたところに落とし穴があった。
 カネに苦労した成金タイプにこういう人が多い。いや、大半の企業が利益、儲け優先で進めていることは、最近の不祥事件で明らかである。えげつないか、そうでないかの違いだけで大同小異である。

 折口雅博会長の発想、体質は変われるのか、はなはだ疑問だから厚労省も凍結を指導したのだろう。それにしても年金で火の車の厚労省が指導するのも、けったいな話しである。日本とは不思議な国だと思われるに違いない。

 この9月から老人の仲間入りする私も他人事ではない。カネのない人間は認知症にならないよう心がけ、いつまでも動ける体にするしか、人間の尊厳は保てないと思っている。




●6月8日(金)ベンチャー企業の挑戦

 先日、西区のベンチャー企業を取材した。一見、マンション風の建物に事務所(2F)と生産現場(1F)があった。いわゆるインキュベーターより部屋は広い。これは大阪市の建物で、こうしたベンチャー企業育成に取り組んでいることがわかる。

 このベンチャー企業の代表は、東京出身で、大阪の中小企業に勤め、10年前に独立した。ナノレベルの粒子をつくる独自の装置を開発、公的資金を受けながら実証機を完成。すでに医薬、電子部品、化粧品等のメーカーに納入実績がある。

 今回、装置メーカーが自社ブランドの化粧品の製造、販売に乗り出すというので取材した。なぜ、リスクの高い自社ブランドかというと、装置メーカーだから理想の化粧品をつくれるからだという。化粧品会社は機械の特性に合わせるため、思い通りの製品づくりができないが、メーカーは化粧品の企画に機械を調整できるからだそうだ。

 化粧品はファッション性があるので、独自制作の音楽事業も展開して、乙女こころを掴むと意欲的である。いずれにしても夢がある。夢が実現すれば大化けするだろう。楽しみである。



●6月7日(木)チャドクガの駆除

 チャドクガという名前を聞いたことがありますか。先日、TVでも取り上げていました。ツバキやサザンカを植えている人は要注意です。

 庭木を観るのはいいものだが、手入れなど考えると大変である。ツバキに寄生するチャドクガも厄介である。昨年も駆除した記憶があるが、今年も成虫の段階で気がついた。

 チャドクガはツバキとサザンカだけに寄生する。ツバキの葉や枝ににかたまってついているが、木を揺すると、芋虫のように糸で枝からぶら下がって落ちてくる。これに刺されると、かゆくてたまらない。掻くと、さらにかゆみが広がる。

 完全防備で寄生している小枝を切って袋に入れ、最後に殺虫剤をかけて密閉した。また、木にも殺虫剤をふりかけた。次からは卵の段階で駆除するようにしたい。


【サザンカに寄生するチャドクガの成虫】

 ITの(社)農林水産技術情報協会のHPに以下のように詳しく掲載されている。

 ◎ ドクガ科。本州以南の日本各地に分布。名前のとおりチャの害虫として知られていますが、同じツバキ科のツバキやサザンカでもよく大発生します。

 この毛虫の発生が庭木としてのツバキやサザンカの最大の欠点とすらいえるほど、近年都市部でもっとも問題の大きい毛虫です。

 幼虫は生育の全期間を通じて集団で生活し、成長すると体長が25mmほどになります。ツバキやサザンカの葉に毛虫が群がっていたら、まずこの毛虫と考えて間違いありません。人を刺すのは目立って長い毛ではなく、からだ中に50万本もある微細な毒針毛です。毒針毛は幼虫が脱いだ皮(脱皮殻)にも長い間残りますので、冬に樹を剪定しても刺されることがあります。
 
 年2回発生し、葉の裏に生みつけられた卵塊(黄色の毛玉状)で越冬し、幼虫は5月のゴールデンウイークのころの孵化します。幼虫は頭を並べて集団で葉を食べますが、冬のうちにたんねんに卵塊をさがして除去したり、幼虫のまだ小さいうちに葉を切り取って踏みつぶすのが家庭では効果的な防除法です。

 幼虫が大きくなると集団がいくつにも分かれ、被害が樹全体に及び、除去は危険です。ただし、たいていの家庭用殺虫剤は、ほとんどの庭の毛虫に効果があります。6〜7月ころに成虫が羽化して、また産卵し、8〜9月に2回目の幼虫が発生します。それが成長して9〜10月に羽化した2回目の成虫が生んだ卵が越冬します。 

 幼虫がサナギになるとその表面やマユに毒針毛がベタベタついていますし、雌成虫は羽化すると腹の先に毒針毛をまとめてつけて飛びたち、それを卵塊になすりつけます。このためチャドクガは、幼虫ばかりでなく脱皮殻やサナギや成虫や、卵まで人を刺します。写真のように、2cmくらいの大きさで、翅の先に2個の小さい黒点のある黄色っぽいガが家の中に飛んできたら注意して下さい。絶対に直接さわらずにびんなどで捕らえるようにします。

 チャドクガの毒性は次のドクガよりはやや弱いものの、刺されるといつまでも激しいかゆみが残り、それが2〜3週間も続きます。また、刺されたときの痛みはほとんどなく、あとからヒリヒリした痛みと強いかゆみでそれとわかるのでやっかいです。

 この毛虫に刺されたとわかったときは、その場所にセロハンテープを貼って毒針毛を取り、そのあと長く流水で洗い流すのがよく、手でこすったり掻いたりするのは最悪です。抗ヒスタミン含有のステロイド軟膏を塗り、症状がひどければ抗ヒスタミン剤を内服します。何度も刺されるとアレルギー症状を起こし、全身に症状が見られることもあります。

 
●6月6日(水)タヌキをついに撮影

  タヌキが拙宅に現われて長いようだ。ようだというのは、しばらく空き家にしていたこともあって、正確には分からないが、隣家の奥さんから「お宅にタヌキが来るようですね。縁起がいいですよ」と、教えられたことがあるからだ。

 引っ越して来て3年ほど経つが、庭の隅に一風変わった動物の糞の塊を見つけた。時々、やってくる猫の糞とは明らかに異なる。こうして見るのは糞の山ばかりであった。(事典で知ったが、タヌキはため糞の習性があるようだ)

 ところが、ここ2,3日、ついに姿をみることができた。朝の5時という決まった時間に糞をするようだ。この日も5時に、70mmのズームしかないが、デジカメで撮影することに成功した。食パンを窓から投げてやると、おいしそうに食べた。そのうち大きい一切れをくわえると、隠れるように姿を消した。そしてしばらくすると、いつものコースなのか、向かいの家の庭に向った。


【フラッシュに驚いたが、パンをやると近づいてきた」

 タヌキをITで見ると、あるHPに次のような一文があった。焼き物でなく本物のタヌキはいまや都会では見られなくなったと別のHPにあった。
 
【タヌキ】について
 体長約 50-60 cm、体重3-10 kg。ずんぐりとした体つきで、足が短く、尾は太い。体色はふつう灰褐色で、目の周りや足は黒っぽくなっている。日本の昔話では、「ぶんぶく茶釜」や「かちかち山」で、数多く登場する身近な動物である。

(行動や生態)食肉目(ネコ目)の共通の先祖は、森で樹上生活を送っていたが、その中から、獲物を求めて森から草原へと活動の場を移し、追跡型の形態と生態を身につけていったのがイヌ科のグループである。タヌキは森での生活に適応したイヌの仲間であり、胴長短足の体形など、原始的なイヌ科動物の特徴をよく残している。

 タヌキは夜行性で、番(つがい)になるとどちらかが死ぬまで、1夫1妻で行動する。雑食性で、ネズミ、カエル、鳥、昆虫などの小動物のほか、果実など植物質のものも食べる。人家近くで生ゴミを漁ったりすることもある。タヌキには、複数の個体が特定の場所に糞をする「ため糞(ふん)」という習性がある。1頭のタヌキの行動範囲の中には、約10か所のため糞場があり、1晩の餌場巡回で、そのうちの2、3か所を使う。ため糞場には、大きいところになると、直径50 cm、高さ20 cmもの糞が積もっているという。ため糞は、そのにおいによって、地域の個体同士の情報交換に役立っていると思われる。

 死んだふり、寝たふりをするという意味の「たぬき寝入り(擬死)」とよばれる言葉は、猟師が猟銃を撃った時にその銃声に驚いてタヌキは弾がかすりもしていないのに気絶してしまい、猟師が獲物をしとめたと思って持ち去ろうと油断すると、タヌキは息を吹き返しそのまま逃げ去っていってしまうというタヌキの非常に臆病な性格からきている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 江戸時代からタヌキは「他を抜く」として「商売繁盛」の縁起物でした。焼き物は信楽に限らず各地で作られていたそうです。
 初代藤原鉄造さんが、京都で修行していたときに見た「腹鼓狸」の姿を、縁起のいい物として造ったのが始まりだそうです。その名を、全国的に有名にしたのが「昭和26年の昭和天皇の信楽行幸」の時です。
 昭和天皇が降りた信楽の駅前に、日の丸を持ったタヌキの置物が並べられ、迎えていたそうです。
 また、信楽焼のタヌキには「八相縁喜」というものがあります。
 笠 → 思わざる悪事災難避けるため用心常に身をまもる笠
 目 → 何事も前後左右に気を配り正しく見つむることな忘れそ
 顔 → 世は広く互いに愛想よく暮らし真を以って務めはげまん
 徳利 → 恵まれし飲食のみにこと足利て徳はひそかに我身につけん
 通 → 世渡りは先づ信用が第一ぞ活動常に四通八達
 腹 → もの事は常に落ちつきさりながら決断力の大胆をもて
 金袋 → 金銭の宝は自由自在なる運用をなせ運用をなせ
 尾 → なに事も終わりは大きくしっかりと身を立つるこそ真の幸福



●6月5日(火) モノづくり神話の持続を

 下記のコラムは、商工会6月号に掲載した巻頭言の原稿です。

 最近、欠陥製品の回収報道が目立つ。かつても欠陥製品はあった。そのほとんどがケアレスミス(不注意)によるものが多かった。やがて金属疲労という言葉も出て列車や航空機の欠陥が噴出したことも記憶に新しい。最近ではエキスポランドで起きたジェットコースターの事故もそれにあたる。

さらに倫理工学という学問体系も確立、欠陥製品の背景に技術者の倫理と経営者が求めるコスト問題がクローズアップした。米国・カーメーカーの技術者が自らの良心にかけて技術改善を提案したが、経営陣からコスト高になると拒否された。やがてその車種は欠陥をさらけ出し事故を多発した。メーカーの損害賠償は企業の屋台骨を揺るがすほどになった。

米国は80年代にモノづくりを放棄、世界から工場誘致に奔走した。日本からも自動車、家電など対米投資が盛んに行われた。それがいまも続いているが、そのころ、日本の米国工場で「金曜日につくった車は気をつけろ!」と、ささやかれた。なぜかというと、翌日からの休日レジャーを控えて、工場労働者がウキウキした気分でつくるから欠陥が多いのだという。

このところ日本製の電池、湯沸かし器、自動車などの欠陥製品には以前とは違った要因が働いている。企業は大々的にリストラをやり労働者格差が生じ、現場力が衰えたことによるものだ。人材派遣法が適用拡大され、メーカーの経営者がこぞってこの法律を活用した。工場ラインに正規雇用者と派遣労働者が混在、ひどいところでは大半が派遣労働者によって占められた。このことが国会でも取り上げられ、格差が社会問題になっている。

これは経営者に人を工数扱いし、マニュアルを与えたらモノができるという考えが広がったからだ。従来、現場技術はその習得に一定の年季がかかり、熟練という言葉が重みを増した。ところがバブル崩壊でコストダウンと国際競争力という錦の御旗を掲げ、経営者は派遣労働者を積極的に採り入れた。この考えの底流に現場労働者をデジタル人間扱いして、マニュアルさえあれば、いつでも代替要員でこと足りると考え低賃金で働かせた。いわばロボットと同じ扱いである。

ファーストフード店のマニュアル管理と同じで、店員は客に対して相手の目を見ないで挨拶するため気持や心がこもっていないのである。モノづくりの現場も同じで工具ひとつ手渡すのに、ロボットのようにやっていたら気持ちが伝わらない。その動作ひとつ一つに心をこめて現場力を高め維持してきた。

その昔、豊臣秀吉が織田信長の草履(ぞうり)役となった。
冬のある日、信長が秀吉の差し出した草履をはいたとき、心地いい温もりを感じた。秀吉が機転をきかして懐で温めたからだった。これこそがアナログ人間である。いま、IT(情報技術)の進展でデジタル機器が発達、あらゆるモノをはじめ思考までデジタル化され多忙を極めている。チャップリンの有名な映画「モダンタイムズ」の現代版がいまのモノづくり現場で起こり労働者は疲弊している。

人間はアナログであることを忘れてはならない。団塊世代の定年時期を迎え、一段と現場力の衰えが心配される。日本は英国のロンドン・シティーのような金融力、米国の知的財産戦略の真似はできない。唯一、優位にあるのがモノづくりである。この牙城を守れない時、日本は本当に衰退する。コスト競争をしている限り、いつでもその地位は取って代わられることを認識すべきである。

生産革新は突き詰めれば、人間力の問題である。全従業員がなんのためにモノづくりをするのか、会社の経営理念をしっかり理解し使命感と危機意識をもって自分自身の問題として対応することが大切である。いまこそ発想の転換をしてモノづくり神話を大事にしたい。



●6月4日(月)下水工事見積もり

 私の住んでいる生駒山麓は旧市街で道路も狭く、傾斜地が多い。このため、下水工事で置いてきぼりとなり、約10年前、受益者負担ということで、各家庭から相当な金額を納入させた。もし、納入しないと、個人で汲み取り車を改めて契約するなど、面倒なのである。

 この10年間はなんの連絡もないまま、昨年、工事開始の通達があり、ようやくこの4月に完成した。今度は自分の家の敷地内は自分の責任で工事をしないと、役に立たない。しかも、今回の条件は雨水と汚水のパイプを分けないと、検査で合格とならない。
 庭に洗い場があると、パイプ敷設工事が増え、工事費だけで大変である。1ヶ月経って、市の許可書が届き、工務店が見積もりをもってきた。あまり無理を言って、いいかげんな工事をされても、かえって損になると、見積もり通りで発注した。1週間の工事である。


●6月3日(日)万博公園散策

【万博公園のハス池で】

 昨日は、万博公園を散策した。これまで民族博物館、大阪ガスの生活館、日本庭園など、個々には行ったことはあったが、公園全体を歩いたのは、万博以来である。
 エキスポランドが事故で閉鎖されているためか、日曜日にもかかわらず、人出は思ったより少なかった。フリーマーケットには多くの人が集まっていた。

 万博公園はさすがに広かった。全コース歩くには2時間はかかる。アマチャカメラマンのグループがモデル撮影、またしょうぶ園ではコンテストがあるので、多くのカメラマンが熱心に撮っていた。

 私がリバーサルフィルムのカメラ300mmの望遠でキジバトを撮っていた時、三脚とリックをもつシニアの男性が「なにか、撮れますか」と、声をかけてきた。そのあとも、私の後を追うように歩いた。途中から、いろいろ話した。
 最後は日本庭園を見ながら紙コップのコーヒを飲みながらいろいろ話しをした。大阪市内に住む彼は定年後、公園、山など野鳥を求めて旅をしている。羽黒山、駒ケ岳、別府、新潟、鶴見緑地、長居公園、大阪城公園と、最近、訪れた土地の名前が出てくる。
 出身は大分県・佐伯だそうだ。兄が材木商をいまもやっているそうだ。

 「気に入った写真を四ツ切にして自分で楽しんでいます」
 リックからパンを取り出して、鯉に与えた。聞くと、野鳥には鳥店で買ったエサを与えて撮っているという。大阪城公園はそういうカメラマンが多いそうだ。
 シジュウガラが飛んできた。「シジュウガラは始終、空っぽ(財布)だから撮りませんという人がいます」と、面白いことをいう。
 ハス池の前で、赤とんぼを見つけた。「これを撮ってかえります」というので、別れた。約1時間30分
の付き合いだったが、なにかホッとする気持ちになった。


●6月2日(土)写真の撮りかたワンポイントアドバイス

 奈良に入江泰吉奈良市写真美術館がある。ここで「写真の日」(6月1日)のイベントとして(1日〜3日)、館員による「写真の撮りかたワンポイントアドバイス」を無料で解説、聞きに行った。
 内容は、@広角レンズと望遠レンズAシャッタースピードの効果B絞りの効果C光を読むDカメラポジションEカメラアングルなど、基礎的なことであったが、きちんと聞いたのは初めてなので、いくつか発見があった。
 写真の日は、日本ではじめて写真が撮影されたといわれる1841年6月1日を記念した日(実際は9月17日)。この写真は長州の島津斉彬で現存しており、文化財の指定を受けているという。

 このあと、春日大社の原生林、奈良公園を散策して写真撮影した。


●6月1日(金)国連の水セミナー

【神戸国際館で】

 この日、神戸で開かれた国連人口基金など主催の「アジアの水が危ない 人口・都市の発展と水環境」のセミナーに出かけました。
 先ごろ、「世界の水問題」の講演録をもとめる機会があって、多少、本を読み興味があったからです。このセミナーは(財)神戸国際協力センター、神戸アジア都市情報センターも主催団体でした。
 120名の定員に先着順の事前申し込みで、市民、学生らも参加しており、水に関心を寄せていました。米国ミシガン大学名誉教授らの基調講演のあと、バングラディシュ、中国、インド、インドネシア、パキスタンをはじめ、地元、神戸市などアジア10ケ国の行政マンがそれぞれの国、都市の水事情を報告していました。
 
 内容はこれまで講演や本で知っているものでした。神戸カナディアンスクールの学生が英語で質問するのには驚きました。質問内容がしっかりしていました。
 そのなかで、「日本のように、水道水をがばがば飲める国はありますか?」という質問に、フィリッピン以外は、煮沸しないと飲めないということでした。

 また、水道水は都市部のみで、農村部は大半が井戸か、川の水を飲んでいるようです。ミネラルウオーターは富裕層し買えない、あるいは買っても収入に占める比率が高く、水格差問題が深刻です。
 「市民として何ができますか?」という、小学生の質問には拍手がありました。「味噌汁1杯を魚がすめるようにするには、浴槽3杯の水、天ぷら油1回分なら700杯の水が必要です。下水に流す時は、きれいにふき取って洗うことだけでも、大変な節水になります」と、神戸市の担当者は報告していました。
 アジアの水問題は、日本の50年前の状況です。